たった今たった卵

こととしてのからだ 2 

からだの こと “殊”  “異”  ”言“ に気づこうとすることから、

こととしてのからだに向かうことがはじまるようです。

こととしてのからだの感覚を当たり前のように持っていた古代の人々から、これらの文字が生まれたんだなあ。

それを今、私は逆から辿っていこうとしている、、。

 

「動きの感覚とは、からだの中身の差異を感じとり、その変化・流動・関係を感じとる感覚である。」 野口三千三

 

 

こととしてのからだ 3 静かな祭 

甲骨の“事”という文字は大切な願いや誓いを入れた器を木枝にくくりつけ捧げる象(かたち)。

それは祭事であり大事であるので枝には吹流しがたなびいている。

“事” とはそれだけで一大事なのだ。

 

大好きな盆踊りはキャンセルです。

しかし、からだは動き、流れ、変化し 

”わっしょい わっしょい !!」常に祭りです。

とても大事な“こと”が起こり、連なり、それを繰り返し、

厳かで静かなる祭りは自粛のしようなどありません。

 

その祝福の連続の中に実は私達はいるのだと実感してあげたいな、

あげようね、と肩の力を抜いたのでした。

 

『体操とは、今「もの」であるからだを「こと」としてのからだに生まれ変えらせようとするいとなみである。』 野口三千三